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月刊商人舎 2022年12月

特別企画


追悼 清水信次

2022年12月09日

「私には命を拾った経験が、三度ある」 清水信次さんは語っていた。著書にも記されている。 一度目は1944年、18歳で徴兵されたときだ。「大東亜戦争」の戦局が極度に悪化し、清水さんは第二期の志願兵となった。清水さんは戦技特別研究員の合宿に参加していて、三日違いで一期生になり損ねた。しかし第一期生の若い兵士たちは満州に送られ、199名中12名を残して戦死した。清水信次は、ここで一度目の命拾いをした。 二度目は、翌1945年の敗戦のときである。6月22日に沖縄が玉砕したあと、陸軍本土特別攻撃隊が組織された。清水さんは千葉県の九十九里浜で、上陸してくるアメリカ軍戦車を迎え撃ち、地雷を抱いて戦車の下に飛び込む命令を受けていた。 「100%死を覚悟した」と述懐している。 しかし、8月6日午前8時15分に広島に原爆が投下され、9日午…




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